原敬の出身地と波乱の生い立ち|平民宰相が歩んだ激動の生涯を追う
原敬の出身地と波乱の生い立ち|平民宰相が歩んだ激動の生涯を追うの要点を詳しく解説してご紹介します。
原敬の出身地は、現在の岩手県盛岡市本宮です。安政3年(1856年)、盛岡藩の家老格であった原直治(父)とリツ(母)の三男として生を受けました。原家は代々、盛岡藩において大身(たいしん)を務めた名門の武家であり、幼少期の原敬(幼名・健次郎)は何不自由のない環境で育ちました。
ところが、1868年の戊辰戦争が少年の運命を一変させます。奥羽越列藩同盟側に立った盛岡藩は新政府軍に敗北し、朝敵の烙印を押されました。藩の石高は大幅に減封され、原家も屋敷を没収されるなど一転して極貧の生活へと突き落とされます。さらに、敬がわずか11歳の時に父・直治が急逝。母のリツが内職をしながら女手一つで家族を支えるという、過酷な少年時代を過ごしました。
この「賊軍の出身」というハンディキャップと、名門没落の悔しさは、原敬の骨太な反骨精神とリアリズムを育む原点となりました。新政府の中枢を占める薩長藩閥に対する冷静な対抗意識は、この盛岡の地で培われたものです。