真田幸村はなぜ六文銭を掲げたのか?三途の川と赤備えに宿る決死の覚悟

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六文銭にまつわるエピソードには、後世の創作やネット上で拡散された誤解が少なくありません。とりわけよく見られるのが「死者の銭を掲げるのは不吉ではないのか」「敵から忌み嫌われたのではないか」という疑問です。

確かに、平和な日常において葬儀用の銭を掲げるのは極めて不吉とされました。だからこそ、真田氏は平時の書状や公式儀礼において六文銭を決して使わず、結び雁金の家紋を用いていたのです。六文銭はあくまで「非常時=戦場」限定の裏紋であり、死地へ赴く武士だけが身につける特殊なスイッチでした。

また、大坂の陣で幸村が討ち死にした後、徳川方についた兄・真田信之率いる松代藩(信濃国)の対応も興味深い事実を伝えています。信之は徳川幕府への配慮から、幕府を震撼させた「六文銭」を大々的に使うことを一時控え、雁金紋を多用しました。しかし、裏では歴代藩主の甲冑や秘蔵の武具に六文銭を残し続け、明治維新に至るまで一族の魂として密かに継承したのです。「逆賊」の象徴とされながらも消滅しなかった事実こそ、六文銭が持っていた歴史的磁力の強さを証明しています。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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