田岡一雄狙撃「ベラミ事件」の鳴海清とは?六甲山の遺体と昭和裏面史

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ベラミ事件の直後から、警察による大規模な特別捜査本部が設置されると同時に、山口組による血眼の「鳴海狩り」が始まりました。全国の警察官数万人が動員され、主要な交通機関やアジトが徹底的にマークされる中、鳴海清は同盟関係にあった松田組系の傘下組織などを頼り、関西から瀬戸内、山陽方面へと潜伏先を転々とします。

当時の捜査資料や関係者の手記によると、鳴海の逃亡生活は想像を絶する極限状態でした。山口組からの報復を恐れる協力者たちにとって、鳴海は「英雄」であると同時に、抱えているだけで組織を壊滅させかねない「最大の危険分子」へと変わっていったのです。

逃亡中の鳴海は、極度の恐怖とプレッシャーから逃れるために重度の覚醒剤乱用に陥りました。潜伏先の隠れ家で幻覚や誇大妄想に支配され、「三代目の首を取った自分をもっと丁重に扱え」「警察に出頭してすべてをぶちまけてやる」と周囲の組員を怒鳴り散らすなど、制御不能な状態に陥っていたと伝えられています。匿う側にとっても、鳴海の存在そのものが致命的なリスクへと変貌していきました。

中島 亮太

中島 亮太

写真家・フォトエディター

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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