大隈重信とは?功績・早稲田創設と波乱の生涯を徹底解説
大隈重信とは?功績・早稲田創設と波乱の生涯を徹底解説の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でご紹介しています。
偉人として神格化される一方で、大隈重信の経歴にはネット上などで散見されるいくつかの誤解が存在します。史料に基づく客観的な事実関係を検証します。
誤解1:早稲田大学の授業で頻繁に講義を行っていた?
創設者であるため教鞭を執っていたと思われがちですが、大隈が実際に学生の前で講義を行うことはほとんどありませんでした。学校の実務運営は前島密や鳩山和夫、高田早苗らに任せ、自身は後ろ盾・象徴としての役割に徹していました。大隈が初めて早稲田大学のキャンパスで公式に全校生徒向けのスピーチを行ったのは、創設から25年が経過した創立25周年式典(1907年)のことです。
誤解2:第1次大隈内閣(隈板内閣)は大成功を収めた?
日本初の政党内閣として歴史的意義は極めて大きいものの、政権運営自体は決して順風満帆ではありませんでした。旧自由党系と旧改進党系の内部対立(尾崎行雄の共和演説事件などを発端とする主導権争い)が激化し、発足からわずか約4ヶ月(132日)で崩壊しています。理念の正しさと組織統治の難しさは別物であることを物語る事例といえます。