坂上田村麻呂と征夷大将軍の真相|アテルイとの絆と功績を徹底解剖
坂上田村麻呂と征夷大将軍の真相|アテルイとの絆と功績を徹底解剖に関する深掘り解説を丁寧に解説いたします。
勇猛果敢な将軍として知られる田村麻呂ですが、実は世界遺産・京都「清水寺」の創設者という極めて文化的な側面も持っています。
宝亀9年(778年)、若き日の田村麻呂は妊娠中だった妻・三善高子(みよしのたかこ)の安産祈願のため、滋養強壮に良いとされる鹿の生き血を求めて音羽山へ狩りに入りました。そこで出会った修行僧・延鎮(えんちん)から、「観音の霊地で無益な殺生をしてはならない」と厳しく諭されます。
自らの過ちを深く恥じた田村麻呂は深く仏教に帰依し、延暦17年(798年)、延鎮とともに本堂を建立して十一面千手観世音菩薩を祀りました。これが現在の清水寺の始まりです。
当時の記録『陸奥話記』などによると、田村麻呂の容姿は「身長5尺8寸(約175cm〜180cm)、胸囲1尺2寸、赤ら顔に鋭い眼光を放ち、怒れば猛獣を倒し、笑えば稚児をもなつかせた」と記されています。巨漢でありながら仏の教えに耳を傾け、妻を深く愛し、民や部下には慈悲深く接したというギャップこそが、彼が時代を超えて愛される最大の理由です。