世界で約3割?左側通行の国一覧と侍の刀に秘められた歴史の真相

世界で約3割?左側通行の国一覧と侍の刀に秘められた歴史の真相の重要なポイントについて、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

日本国内で広く親しまれている説明が、「江戸時代の侍が左腰に差した刀の鞘(さや)が触れ合う『鞘当て』を防ぐために左側を歩いたから」というものです。この武士の刀と左側通行の真相は、民俗文化的な側面では真実を含んでいるものの、近代国家の交通法規として定着した決定打ではありません。歴史考証を進めると、文化慣習と近代産業政策の2つのレイヤーが合致した結果であることが判明します。

江戸の城下町において、侍が右側通行ですれ違えば、左腰から張り出した刀の鞘同士が衝突し、無用な刃傷沙汰や果し合いに発展しかねませんでした。町人文化においても「左側を歩くのが礼儀」とする不文律が自然発生していたのは当時の随筆や絵図からも確認できます。しかし、明治維新によって廃刀令が布告され、身分制度が解体された後、この習慣だけで自動車社会のルールが決まったわけではありません。

日本が左側通行の理由を決定づけた最大の技術的契機は、明治初期における鉄道システムの導入先としてイギリスを選択したことでした。1872年(明治5年)、新橋・横浜間に開通した日本初の鉄道は、鉄道先進国であったイギリスの手によって敷設されました。当時のイギリス鉄道は完全な左側通行であり、機関車から信号機、プラットフォームの設計に至るまですべて左側通行を前提に構築されました。国家基幹インフラが左側で固定されたことで、その後に続く路面電車や乗合馬車の運行基準も左側へ引っ張られることになります。

さらに道路交通における決定打となったのが、1924年(大正13年)の警視庁令「道路取締規則」の全面改正です。それ以前は「牛馬や車は中央または左」「歩行者は右」など現場での混乱が見られましたが、内務省警視庁が「車馬は左側を通行すべし」と明文化して全国へ波及させました。戦後のGHQ占領期、アメリカ軍から「米国同様の右側通行に変更すべきだ」という非公式な打診があったものの、日本全国の鉄道網、路面電車の乗降口、バス車両の構造を改変するには数千億円(現在の貨幣価値で数兆円規模)の莫大な改修予算を要することから、左側通行がそのまま維持されたという経緯が存在します。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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