青島幸男の波乱万丈な生涯と伝説|都市博中止の真相と今に残る功績
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青島幸男は1932年(昭和7年)7月17日、東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋蛎殻町)の裕福な仕出し弁当屋の次男として生を受けました。早稲田大学大学院(文学研究科)を中退後、まだ黎明期だったテレビの世界へ飛び込み、軽妙洒脱な構成作家・コント作家として頭角を現します。
1960年代には、ハナ肇とクレージーキャッツの楽曲作詞を一手に引き受け、『スーダラ節』や『ドント節』など高度経済成長期の庶民の本音を突いた名曲を次々と生み出しました。自らもブラウン管の前に立ち、フジテレビ系ドラマ『意地悪ばあさん』の主人公・波多野タツ役を怪演。老若男女に愛される国民的タレントとしての地位を確固たるものにしました。
しかし、青島の真骨頂はここからでした。1968年の第8回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬。「金をかけない選挙」を掲げ、街頭演説やポスター貼りを一切行わない独自の戦術で初当選を果たします。以後、参議院議員を計4期務め、歯に衣着せぬ国会論戦で政権を厳しく追及しました。文筆活動でも1981年に自伝的長編小説『人間万事塞翁が丙午』で第85回直木賞を受賞し、マルチな表現者としての頂点を極めたのです。