レイテ島の激戦と謎の反転|80年の時を超えて甦る真実と現在の姿
レイテ島の激戦と謎の反転|80年の時を超えて甦る真実と現在の姿の注目されている理由を丁寧にまとめました。最新トレンドを一目で把握できます。
海戦の陰に隠れがちであるが、陸上で行われたレイテ島の戦いは、太平洋戦争における数ある島嶼戦の中でも最も凄惨を極めた戦場の一つであった。第14方面軍司令官・山下奉文大将は当初、補給が困難なレイテを捨ててルソン島での持久戦を企図していた。しかし、南方軍総司令官・寺内寿一大将による強硬な決戦命令によって方針は覆され、泥沼の消耗戦へと突入していった。
雨季のレイテ島は、底なしの泥濘(ぬかるみ)と化す。重火器の牽引は不可能となり、日本兵は腰まで浸かる泥水の中を行軍した。物資の補給船は米軍機の猛爆で次々と撃沈され、兵士の手元にはわずか数日分の乾パンしか残されなかった。後年、作家の大岡昇平が自身の出征・捕虜体験を基に執筆した世界的名著『野火』は、このレイテ戦線の末期を描いた文学的ドキュメントである。作品の中で描かれる、敗残兵が密林を彷徨い、飢餓から味方の遺肉に手を出しかねない極限状態の描写は、単なるフィクションではない。
厚生省(現厚生労働省)の援護資料や戦後出版された生存者たちの手記には、耳を覆うような証言が数多く記録されている。
「敵の銃弾で倒れる戦友よりも、飢えとアメーバ赤痢、マラリアの高熱で息を引き取る兵士のほうが圧倒的に多かった。動けなくなった戦友は『頼むから置いていかないでくれ』とすがるが、自分自身が一歩進むのが精一杯で、誰も助けることができなかった」(元歩兵連隊所属・生存者の手記より抜粋)
1944年12月下旬、米軍が西岸のオルモックを制圧したことで、日本軍の補給路は完全に遮断された。司令部は生存将兵に対し、カンギポット(カンギポット山)方面への集結を命じたが、それは組織的軍隊としての体を失った敗残兵の「死の行軍」にほかならなかった。最終的な生還者は投入兵力のわずか数パーセントに過ぎず、約8万人の将兵が異国の泥土へと消えていった。