団時朗と草刈正雄の絆とは?兄弟説の真相と資生堂Mg5伝説を検証
団時朗と草刈正雄の絆とは?兄弟説の真相と資生堂Mg5伝説を検証についての真相を徹底解説します。
ふたりの運命が交錯した原点こそ、1967年に誕生した資生堂初の本格的男性化粧品ブランド「MG5」のプロモーションでした。当時、日本のCM界に革命をもたらしていた伝説のCMディレクター・杉山登志(すぎやま とし)氏の手によって、ふたりの運命の共演が実現します。
資生堂専属モデルとして先行して大ブレイクしていたのが、当時20歳前後の団時朗さんでした。黒のチェッカーフラッグ柄をあしらったモダンなパッケージとともに、クールでスタイリッシュな団時朗さんの姿は、ポマード特有の油臭いイメージが強かった従来の男性整髪料市場を瞬く間に刷新しました。そこへ1970年、17歳で福岡から上京したばかりの無名の草刈正雄さんが見出されます。杉山ディレクターは、草刈正雄さんを「団次郎の弟分」としてCMに起用することを即決しました。
1970年から1971年にかけて放映された「紹介編」や「ブランコ編」などのCMは、日本の広告史における金字塔として今も語り継がれています。屈託のない笑顔で外を駆け回り、ブランコを漕ぎ、爽やかにヘアリキッドを手にとるふたり。さらに日本人青年としての等身大の視点を添えるため、俳優の島野俊通さんも加わった3人編成のCMも制作されました。平均的な体躯の島野さんと並ぶことで、団時朗さんと草刈正雄さんの異次元のスタイルと洗練された美しさが一層際立つ構成となっていました。
このCMシリーズの大成功により、草刈正雄さんはデビュー直後からトップモデルの仲間入りを果たし、団時朗さんは不動のエースとしての地位を確立。ふたりは単なる共演者を超え、激動の昭和カルチャーシーンを先導する盟友となったのです。