岩国飛行場と岩国錦帯橋空港の違いは?米軍基地と滑走路を共用する驚きの真相

岩国飛行場と岩国錦帯橋空港の違いは?米軍基地と滑走路を共用する驚きの真相についての最新情報を徹底解説します。

現在のように羽田からの定期便が毎日スムーズに就航するまでには、半世紀以上におよぶ苦難の歴史が存在しました。終戦直後、旧日本海軍の航空基地から英連邦占領軍を経て米軍へと引き渡された岩国は、朝鮮戦争やベトナム戦争において極東の前線基地として極めて重い役割を担わされてきました。

かつて1950年代から1960年代にかけても、極東航空や全日空による細々とした民間便が飛んでいた時期はありました。しかし、米軍の本格的なジェット戦闘機の配備激化や安全保障上の理由から、1964年に民間定期便の運航は完全に停止。以来、山口県東部や広島県西部の住民は、東京へ向かうために遠く広島空港(当時は広島市内、後に三原市へ移転)や山陽新幹線に頼らざるを得ない時代が長く続いたのです。

状況が大きく動き出したのは1980年代後半から始まった「滑走路の沖合移設事業」でした。基地の東側にある干潟を埋め立て、滑走路を沖合へ約1キロメートル移動させることで、米軍機による市街地への航空機騒音や墜落リスクを軽減する国家プロジェクトです。地元自治体や経済界は「騒音被害を受忍する代償として、市民生活に資する空港の民間利用を認めてほしい」と強く要望を続けました。

国や米軍、地元協議会が激しい折衝を重ね、日米合同委員会での合意を経て、2012年12月に48年ぶりの民間定期便復活を果たしました。この民間共用化の経緯は、軍事基地の過密化と地域振興の狭間で揺れ動いてきた戦後日本の地方政治と外交が結実した、極めて重みのある軌跡と言えます。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

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