舘ひろしの若い頃が異次元のイケメン!クールス時代から伝説の真相
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大学進学のために上京した舘ひろしは、1970年代前半の東京・原宿で運命的な出会いを果たします。1974年12月、舘ひろしをリーダー(団長)とし、岩城滉一を副団長として結成されたのが伝説のモーターサイクルクラブ「クールス(COOLS)」でした。
チームの鉄則は「黒の革ジャン、黒のパンツ、黒の大型バイク(ハーレーダビッドソンやカワサキ・Zシリーズ)」。当時、原宿の表参道を数十台の漆黒のバイクが一列に整然と疾走する光景は、若者たちの間で瞬く間に伝説と化しました。彼らは単なる暴走集団ではなく、徹底した美意識と規律を持つ「バイクチーム」として独自のカルチャーを形成していたのです。
1975年4月13日、日比谷野外大音楽堂で開催された伝説のロックバンド「キャロル」の解散コンサートにおいて、矢沢永吉からの直々のオファーによりクールスが親衛隊(警備担当)を務めたエピソードは有名です。この圧倒的な存在感がレコード会社や映画関係者の目に留まり、バンドとしての「クールス」が結成され、舘ひろしはメインボーカルとしてシングル『紫のハイウェイ』で鮮烈な音楽デビューを飾りました。
副団長を務めた岩城滉一との関係については、後年「不仲説」などの憶測が飛び交うこともありましたが、実際には互いの個性を誰よりも認め合う無二の親友であり、終生のライバル関係にあります。インタビューにおいて舘ひろしは「滉一は当時からずば抜けてカッコよかった」と語り、岩城滉一もまた「舘のリーダーシップと美意識には一目置いていた」と証言しており、互いに独自の道を歩みながらも深いリスペクトで結ばれていることが明かされています。