明治天皇の誕生日が文化の日になった真相|Ghqの思惑と改称の歴史

明治天皇の誕生日が文化の日になった真相|Ghqの思惑と改称の歴史の全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。

明治天皇が誕生したのは、幕末動乱の足音が近づく嘉永5年9月22日のことである。西暦に換算すると1852年11月3日、孝明天皇の第二皇子として京都の中山邸で生を受けた。幼名は祐宮(さちのみや)。この旧暦9月22日は、即位後の明治元年(1868年)に国家の祭日である「天長節(天皇誕生日)」として定められた。

転機が訪れたのは明治5年(1872年)末の太政官布告である。日本が従来の太陰太陽暦(天保暦)を廃止し、西洋諸国に合わせた太陽暦(グレゴリオ暦)を導入したことで、翌明治6年から明治天皇の天長節は「11月3日」へと日付が改められた。以後、明治45年(1912年)に崩御されるまでの40年以上にわたり、11月3日は近代化へと突き進む大日本帝国において、国を挙げて祝われる最大の祝祭日となった。

しかし、明治天皇の崩御に伴い、大正時代に入ると天長節は大正天皇の誕生日(8月31日/祝日は10月31日)へと移り、11月3日は一度カレンダーから「平日」へと戻ることになる。これに対し、明治維新という空前の国難を乗り越えた近代日本の精神的支柱を顕彰し続けたいという声が全国の民衆や自治体から沸き起こった。大規模な請願運動が実を結び、大正天皇崩御後の1927年(昭和2年)、祝祭日令の改正によって11月3日は「明治節」として祝日に返り咲いた。四方拝、紀元節、天長節と並ぶ「四大節」の一角として、昭和初期の日本国民の心に深く刻み込まれていったのである。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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