北マケドニア国旗なぜ変わった?旭日旗との類似や改名の真相を追う
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1991年9月、旧ユーゴスラビア連邦から平和裏に独立を果たしたマケドニア共和国(当時)は、翌1992年に自国の主権を象徴する最初の国旗を制定しました。赤地の中心に描かれたのは、16本の鋭利な光を四方八方に放つ黄金のシンボル――考古学界で「ヴェルギナの太陽(ヴェルギナの星)」と呼ばれる古代の紋章でした。 しかし、この採択が隣国ギリシャの逆鱗に触れることになります。発端は1977年、ギリシャ北部マケドニア地方の小村ヴェルギナで、古代マケドニア王国を率いたフィリッポス2世(アレクサンドロス大王の父)の陵墓と推定される遺跡が発掘された出来事でした。棺の蓋に刻まれていた16条の太陽光線は、ギリシャ国民にとって「自国のヘレニズム文明に連なる神聖な文化遺産」そのものだったのです。 ギリシャ政府および国民の受け止めは苛烈を極めました。スラヴ系住民が多数を占める新興国家が「マケドニア」という歴史的呼称を名乗り、さらにアレクサンドロス大王に連なる紋章を国旗に据えた行為は、単なる文化の盗用にとどまらず、ギリシャ領マケドニア地方への「将来的な領土的野心(領有権主張)」の布石であると警戒されたのです。 ギリシャ側は激しい抗議を展開し、アテネをはじめとする主要都市で100万人規模の抗議デモが発生。さらに1994年2月、ギリシャはマケドニアに対する事実上の国境封鎖および通商停止措置という強硬手段に打って出ました。内陸国であるマケドニアにとって、エーゲ海に面するギリシャのテッサロニキ港を封鎖された打撃は壊滅的であり、年間数億ドルとも試算される経済損失を被り、国内経済は急激に困窮へと追い込まれました。 国際社会からの承認獲得と経済的窒息を回避するため、当時のグリゴロフ大統領率いるマケドニア政府は苦渋の決断を迫られます。1995年9月、国際連合の仲介のもとで両国は「暫定合意」に署名。マケドニア側が憲法修正とともに国旗からヴェルギナの太陽を削除することを受け入れ、わずか3年余りで旧国旗はその役目を終えることになりました。