的屋(テキ屋)の現在と実態|暴力団との関係や年収・歴史の裏側を解剖

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露天商を生業とする人々を指す「的屋(テキ屋)」という言葉の語源には諸説存在します。江戸時代、縁日や盛り場で弓矢の的を射させて賞品を出した「矢場(やば)」の営業形態から「的(テキ)」と呼ばれるようになった説や、的を射るように巧みな口上で客の心を捉えて品物を売る姿に由来する説、あるいは手際よく屋台を組み立てて商売を行う「テキパキ」という擬態語から転じたとする説などが伝わっています。

的屋の歴史を語る上で欠かせないのが、古代中国の伝説上の帝王である神農(しんのう)への信仰です。神農は農耕の技術を人々に教え、自ら百草を舐めて薬効を確かめた医薬・農業の神とされており、易売りや薬草売りが起源とされる的屋にとって神聖な守護神と位置づけられてきました。現在でも的屋組織の事務所や祭礼の場には「神農皇帝」の掛け軸や神棚が祀られ、同業者間の強い連帯と仁義を重んじる精神的支柱となっています。

近世から近代にかけてのアウトロー史において、的屋と混同されがちな存在に「博徒(バクト)」が挙げられます。歴史社会学的な分類において両者は明確に区別されてきました。

博徒が賭場を開帳して博打による利得を目的とした集団であるのに対し、的屋はあくまで路上や境内での「物品販売や興行」を生業とする商人集団です。移動生活を送る商人同士が縄張り争いを防ぎ、相互扶助と治安維持を図るために「家制度」に似た疑似血縁的な親分・子分関係を結び、独自の掟と自治組織を発展させていきました。昭和以降の裏社会の再編期において一部が広域暴力団と資金面・人脈面で結びついた時期はあったものの、その成り立ちと根底にある職能意識は博徒とは異なる独自の系譜を持っています。

山田 真由

山田 真由

自動車・モビリティライター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

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